ポストコロナで回復が加速する訪日外国人旅行者。政府は2030年に6,000万人という目標を掲げ、インバウンドは日本の成長エンジンとされています。一方で、一極集中やオーバーツーリズムといった課題も深刻です。今、必要なのは「地域連携」×「周遊」という視点。「研究の窓」の第2回となる今回は、これらのキーワードについて、これからの観光のあり方や航空が果たすべき役割、地域経済に持続的な活力をもたらす戦略などについて話し合いました。
慶應義塾大学商学部助教 中村知誠
千葉県出身。2023年から現職。2025年慶應義塾大学から博士(商学)を取得。専門は交通経済学。ミクロ経済学や計量経済学などの手法を用いて、交通インフラの資金調達や整備効果、維持管理などの研究に注力。最近訪れたおすすめの観光地は青森県・大鰐温泉。
JAL航空みらいラボ 取締役
航空事業調査研究部長 岩﨑平
大阪府出身。1992年旧日本エアシステム(現 日本航空株式会社)入社。羽田空港における5年間の地上勤務以降、約20年近くを国内路線計画などに従事。日本航空経営戦略部副部長、調査研究部部長を経て、2024年7月から現職。最近訪れたおすすめの観光地は沖縄県・与那国島。
インバウンド急増、日本はどう向き合うか?
岩﨑
中村先生には「競争と連携の視点から訪日客誘致を考える」というテーマで原稿をご執筆いただき、ありがとうございました。非常に示唆に富む内容でした。
中村
ありがとうございます。私自身も、インバウンドの今後を考えるうえで重要な視点だと感じていたテーマでしたので、今回の機会を大変ありがたく思っています。
岩﨑
ポストコロナのインバウンドは急速に回復し、2024年には3,687万人と過去最高を更新しました。2025年もその勢いは続き、さらに増加が見込まれています。政府は2030年に6,000万人という目標を掲げていますが、日本全体、そして地域が、この増え続ける訪日需要をどう受け止め、メリットをどう最大化していくか。今日はその視点で議論したいと思います。
中村
今後も拡大が予想されるインバウンド需要に対して、日本全体がどのように戦略的に向き合うか考えないとなりません。その中で地域の役割や受け入れ体制を、しっかり議論する必要があると感じています。
岩﨑
地域の役割ということでは、注目したいのが、地域の空港に国際線を誘致、維持するための補助についてです。海外からの直行便を開設あるいは維持させたいと思った時に、先生は「広域的な視点から合理的な補助を提供することが重要」と指摘されています。自治体が海外の航空会社や旅行会社に対してインセンティブや補助金を出すことに、懐疑的な声もあると聞きますが、補助金を使ってでも路線を維持する意義、そして合理的とは何を指すのか、改めて伺えますか。
中村
はい、2つのポイントがあります。1つ目は、地理的に海外から遠い、あるいは世界的知名度が高い観光地が乏しい地域には、立地上の不利があります。その差を埋める意味での補助は、十分に合理性があります。観光は宿泊、飲食、小売り、運輸など裾野が広く、波及効果が大きい産業ですから、投入に見合う効果が見込める場合の公的支援は妥当です。
岩﨑
なるほど。地域ごとのハンディを考慮した上での支援は、確かに重要だと感じます。
中村
2つ目は、補助の設計方法です。各県が個別に競い合うような過度なインセンティブを積み上げると、限られた需要の奪い合いになり、地域全体では非効率で、結果的に各自治体が疲弊していきます。補助の効果や広がりを一部の地域だけではなく、広い視野で捉え、地域全体にとってメリットがある形で設計する。それこそが、合理的で持続可能性を意識した補助だと考えています。
岩﨑
つまり、隣県や地域同士の連携を前提に、点ではなく面での路線誘致と最適な支援が必要だということですね。
周遊は価値を高めるキーワード
岩﨑
インバウンドを地方に広げる周遊についても、ご提言をいただきました。どのような手段が有効でしょうか。
中村
まずは、地域の魅力・認知度の向上です。マーケティングでは想起集合といいますが、旅行先を検討するときに、行きたい場所として思い浮かばなければ、旅先の候補に入りません。そのためには、有力メディアや旅行会社、インフルエンサーなどを招いたファムトリップ(旅行会社やメディア向けの視察旅行)が有効です。彼らに実体験を発信してもらうことが、「地方って面白い」と感じてもらえるきっかけになるのです。
岩﨑
移動手段としての航空の役割も大きいですね。特に長距離の周遊は航空が得意とするところです。
中村
そのとおりです。移動の面では、訪日客向けの国内線特別運賃や、空港から目的地へのアクセスなど二次交通を含めて、予約時にシームレスに一括して案内、予約できる仕組みが重要です。多くの旅行者にとって新幹線の駅は市街地近接でイメージしやすい。一方、航空は長距離や、広域周遊で真価を発揮します。例えば、航空券と空港連絡バス、レンタカーや観光パスをワンパッケージで予約できるようになれば、選ばれる可能性が高まります。
岩﨑
海外から地方空港への直行便と国内大規模空港からの経由便、あるいはFSC(フルサービスキャリア)とLCC(格安航空会社)の組み合わせをどう設計するかが鍵ですね。
中村
はい。訪日客6,000万人の受け入れを考えると、首都圏だけでは対応しきれない可能性があります。FSCは利便性を活かして、都市圏の大規模空港から国内線で地方に誘導し、価格重視の層はLCC直行で取り込む。運賃と利便性に応じた戦略のベストミックスが必要です。
岩﨑
国内線の訪日客比率は、現状2~4%程度とまだ低いです。広域周遊を支える足として、航空がもっと機能できる余地はありますね。
集中から分散へ。周遊が導く新しい観光のかたち
中村
特定地域に訪日客が集中することで、地域住民の生活などに負の影響が生じる観光のオーバーツーリズム(観光の過密化)が近年、問題となっています。今後の訪日客誘致政策では、いかに訪日客の地方分散を促進し、地域に高い経済効果をもたらす旅行者を誘致していくかが課題です。
岩﨑
訪日客の多くは東京、京都、大阪などの大都市に集中しており、インバウンド消費の約76%が三大都市圏に偏っています。地方にその恩恵をどう広げていくのか…。周遊はオーバーツーリズム緩和にも寄与するはずです。国内線に訪日需要を取り込むことで、地域の宿泊や交通への安定した需要が生まれ、航空路線の維持にもつながります。
中村
羽田、成田、関西の三空港で日本に入国して地方を周遊した訪日客は、その他の空港を使った旅客よりも消費単価が高いという結果が私の研究からわかりました。この結果から考えると、大都市の空港から入国する旅客を主なターゲット層に、大都市と地方の周遊型訪日を促進することで、より消費単価の高い旅客を地方に誘致できると言えるでしょう。インバウンド消費の効果を、地方により多く波及させるためには、大都市と地方都市間の連携が有効ではないでしょうか。
岩﨑
多くの訪日客の周遊は、同一エリア内にとどまり、地域をまたぐような長距離の移動はまだまだ拡大余地があるのが現状です。本来、航空はダイナミックにエリアをまたぐ体験を作れるはずなのに、まだ十分に活用されていない。その点は、課題だと感じています。
中村
今後、国内人口が減少すると旅行需要が縮小し、観光や航空を支える人財も不足していきます。一方で、運航や施設維持の費用は上昇するため、路線や観光基盤を守るコスト負担は重くなります。国内の航空路線を維持していくには、旅行にお金をかけられるインバウンド客の存在が欠かせません。地方がその恩恵を受けるには、地域同士が連携し、移動しやすい仕組みを整えることが大切です。
岩﨑
和歌山・熊野古道の事例をご存知でしょうか。熊野古道はスペインとフランスに跨る「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とともに巡礼の道の世界遺産として有名ですが、たとえ遠くても、人を惹きつける魅力や強い目的がある場所には、必ず人が集まるという良い例だと思います。求められているのは、アクセスの見える化と事前情報の明確化。実際、熊野側ではアクセスの不便さに対する不満の声はほとんどなく、むしろ「どう行けば辿り着けるか」を、丁寧に伝えることの方が重要だと感じられているようです。
中村
興味深いです。たとえアクセスが不便でも、旅の目的やスタイルが明確であれば、質の高い旅客を惹きつけることができるという好例ですね。FSCやビジネスクラスなどを利用する旅行者は、宿泊施設や食事に期待するレベルも高くなる傾向があり、結果として消費額も大きくなります。「どの交通手段で、どのような旅をする旅行者を呼び込むか」によって、地方にもたらされる経済効果は大きく変わります。
岩﨑
広域で動線を設計するには、首都圏からは意識しづらい地域まで視野に入れる必要がありますね。また、周遊を成立させるには、滞在日数の長期化が鍵となります。韓国や中国などの近隣国からの旅行者は、短期滞在が多いため、国レベルで「プラス一泊~」を促すプロモーションや政策連動が必要ですね。航空会社としても、運賃政策や乗り継ぎ商品などで後押しを強めたいところです。日本全体を一つの周遊物語として提示するような、発信設計も求められていると感じます。
中村
おっしゃるとおりです。周遊を広げていくためには、旅の動線だけでなく、受け入れ側の体制づくりも不可欠です。特に複数の地域にまたがる周遊を成立させるには、自治体や関係機関が連携し、補助、販路、受入れといった役割を分担する設計が求められます。さらに、取り組みの効果をデータで検証しながら、過度な補助の競争を防ぐ仕組みづくりも重要です。各地域が連携して、全体として効率的にインバウンド需要を取り込む視点が必要だと感じます。
岩﨑
大都市から地方へとつながる路線を軸に、国内線におけるインバウンド比率を高めていく取り組みが、これから一層重要になってきます。その流れをつくることが、日本各地をめぐる周遊を促進し、地域の魅力を世界に発信することにもつながっていきます。こうした循環こそが、観光と航空のみらいを持続可能なものへと導く鍵になると感じます。
中村
インバウンド消費は日本から海外への「サービスの輸出」として捉えられ、近年では、自動車や半導体等電子部品などと並ぶ主要な輸出産業となっています。訪日客を効果的に誘致してインバウンドブームの波を上手く捉えることができれば、国内経済や地域経済の活性化が期待できるでしょう。
アカデミアと産業の連携が未来を開く
岩﨑
こうした仕組みを社会に根付かせ、持続的に機能させていくためには、現場の実践だけでなく、教育、研究の立場からの知見や人財育成の視点も欠かせません。我々JAL航空みらいラボは、民間に付随する研究機関という立場から、アカデミアとの連携にも力を入れていますが、教育、研究の視点から、中村先生は私たちにどのような役割を期待されているでしょうか。
中村
実務とアカデミアをつなぐ橋渡し役としての機能です。航空に関心を持つ学生は多いのですが、専門書は用語が難しく、最初の一歩が踏み出しにくい。「興味を持ち始めた時に、入門書を選ぶのが難しい」という声があります。鉄道には一般向け書籍が多くありますが、航空は専門用語が先行し、初学者にはハードルが高いのです。入門書などを充実させることで、学生が一歩を踏み出しやすくなりますし、興味の芽を育てることにもつながります。
岩﨑
確かに、専門用語が多く、業界の構造もわかりづらい。入り口でつまずいてしまう学生も少なくないですよね。
中村
研究分野としても航空はデータが豊富で魅力的ですが、現場課題と研究テーマがうまく結びつかないこともあります。アカデミアと課題を持っている企業をマッチングさせる仕組みがあれば、学生にとっても企業にとっても大きな意義を持つでしょう。
岩﨑
私たちが翻訳者となり、業界と学生・アカデミアをつなぐ役割を果たしていきたい、またともに学び知見を深めて地域や社会にも貢献していきたいと思います。
インバウンドは、これからの日本にとって欠かせない成長エンジンであることは間違いないところですが、本日の対談を通じて、旺盛なインバウンド需要を、経済効果や平準化にも資する「周遊」につなげていくことが重要であることを認識しました。またそのためには、隣県や地域を超えて広域での連携が重要であり、そこに航空業界として果たすべき役割は大きく、まだまだ努力の余地も十分にあると思いました。
中村先生、本日はありがとうございました。
JAL航空みらいラボは、航空を取り巻く社会課題や将来の可能性について、多様な視点から議論し、次の時代への示唆を生み出すことを目的とした研究、対話の場です。今回の対談では、インバウンドの拡大に向けた航空と地域の連携の重要性、周遊という視点が持つ可能性について多くの気づきを得ることができました。アカデミアと実務の協働が、観光と航空のみらいをひらく鍵になると実感しています。今後もこうした対話を重ねながら、航空や移動がもたらす可能性、価値をともに考えていきます。